私は、医者になるはずでした。ミシガン大学で医者になるために勉強していたんです。ところが4年目になって、苦しんでいる患者さんの世話をするのは私にはできない、向いていないと気付きました。そんな折り、突然日本に行く話が舞いこみ、いきなり日本にやってきました。
日本に来るまでは、料理には関心がありませんでした。ところが、日本に来て、梅干とおかゆを食べたとたん、私は梅干に一目惚れしてしまったのです。それ以来、和食、日本食の魅力に惹かれ、この世界に入りました。柳原一成先生に指示する前は、街のお豆腐屋さんや乾物屋さんが私の先生でした。特に「干瓢」にはおどろきました。
昼間は、三鷹にある国際基督教大学で学び、夜は、柳原先生の教室に通いました。そこで柳原先生のエッセイと出会い、料理は作って食べるものだけれど、素晴らしい日本の文化であると実感しました。先生の本の翻訳をすすめられたのですが、背景にある意味がわからないからと断り、それなら、自分の文章で海外に和食を紹介しようと思いました。これが、フードジャーナリストとしての、初めの一歩でした。でも、奥に入れば入るほど、深い世界だということを実感しています。
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