・講師:南波利昭氏(一般社団法人日本食肉加工協会専務理事)
小島豊氏(ドイツ・フライッシャーマイスター)
・2012年7月30日(月)16:00~19:00
・於:デリカテッセン・ハンスホールベック(茨城県守谷市)
・参加者:24名
・まとめ:近田康二
「食肉加工品の生産・消費動向~本場仕込みのハム・ソーセージを食べて学ぶ~」をテーマにした、2012年度第3回勉強会は7月30日、「デリカテッセン・ハンスホールベック」(茨城県守谷市、オーナー=小島豊さん、店長=小島龍子さん)で開催された。会場は外観・内装ともにドイツのデリカテッセン店さながらの加工場併設の店舗&レストラン。講師に食肉加工メーカーで組織する一般社団法人日本食肉加工協会の南波利昭専務理事を招き、食肉加工品や原料肉の需給動向を含めた業界事情の解説と今後の方向性をうかがった。さらに、日本国内の現役では十数人ほどしかいないドイツの国家資格・フライッシャー(食肉)マイスターを有する小島豊さんのドイツにおけるマイスター制度や加工技術習得についての経験談のあと、本場ドイツ製法のハム・ソーセージを試食しながら、講師とともに、食肉加工品のおいしさについて意見交換を行った。
■簡便性・経済性志向に応え、多様化進むハム・ソーセージ市場――南波さん
南波専務理事は、1990年以降、家計の食料消費支出が減少している中、食肉加工品は健闘しており、これは食料消費が動物性たんぱく質、脂質にシフトしていることを背景に、簡便性、経済性志向によるものと分析した。昨年1年間の食肉加工品消費量は輸入を含め55万トンで、東日本大震災があったにもかかわらず2%程度の伸びがみられるが、火を使わずに食べられる利便性、簡便性といった商品特性と消費者の経済性志向に応えた低価格商品であるところが大きいとの認識を示した。品目別の消費傾向をみると、ロースハムやベーコン、ラックスハムなどの肉塊で製造する「単味品」とウインナーソーセージが増加しているという。
その一方で、食肉加工品の原料肉の種類が大きく変化。1970年ごろまではマトン、馬肉が主流だったが、1970年代半ばから「本物志向」が芽生え、その後の原料肉は豚肉に大きくシフト。すなわち、ロースハムやオールポークあらびきウインナーの需要増大に対応して、1980年は国産63%、輸入37%だったものが、2010年には国産22%、輸入78%と逆転していることを示し、良質、均一で割安な原料肉を求めて輸入物に依存している状況を解説。
また、明治以降の日本の食肉加工品の歴史を振り返る中で、「戦後の復興とともに食肉加工産業も成長したが、現・伊藤ハムの創業者である故伊藤傳三氏がマトンや馬肉の利用法や開発した独創的な人工ケーシングなどのアイデアとノウハウを公開し、業界発展に大きな貢献した」とエピソードを交えて紹介した。
さらに、輸入のハム・ソーセージも増加傾向にあることを、図表を示しながら説明。イタリア、スペインの高級生ハムから中国、タイの価格訴求のソーセージまでバラエティに富んだ製品が輸入されている現状を述べ、「なかには価格破壊的な製品も見受けられる。消費者の低価格志向もあるが、量販店、弁当・惣菜店、飲食店の強力な意向がある」と指摘した。
これからの食肉加工品の方向性のひとつとして、南波専務は和食にマッチする商品開発を提案。単味品では「すき焼き」や「トンカツ」級のパワーのある製品の登場が期待される一方で、香り、旨み、テクスチャーの3拍子がそろった、寿司でいえば「イクラ」や「しめ鯖」のような位置づけの日本型食肉製品が想定されるという。飽きない味、柚子やレモンの香りが分かるような繊細な味のウインナーの開発も示唆した。
さらに、消費者の価値の多様化に対して食肉加工メーカーには、①本物・高級化志向、②低価格志向、③低カロリー志向の商品開発が求められるとともに、ファッションとしての食べ方のシーン、メニューの組み合わせなどの提案していく営業努力も要求されることを提示した。
この中で、本物・高級化志向については、「ハンスホールベックのようなドイツ製法による本格的な逸品の需要が高まるとともに、食肉店による弁当・惣菜、オードブルなどの中食マーケットの看板アイテムとして特徴ある食肉製品が伸びてこよう。加えて、養豚農家の6次産業化の取り組みとして、品種、エサ、飼養管理にこだわって生産した豚肉を素材にした製品が出てくるだろう」と本物・高級化志向の市場が深耕化していく見通しを述べた。
■ドイツソーセージに憧れて渡独、食肉加工技術を習得して日本で紹介―小島さん
小島豊さんは、日本大学卒業後、父の経営する横浜の食肉店を継ぐが、ドイツの純粋な食肉加工の技術に憧れ、日本でもおいしいソーセージを作りたいとドイツへ行くことを決意し、それからの経験を次のように述べた。
父の店を手伝いながら、大森のドイツ学園で夜間ドイツ語を猛勉強。1974年横浜から船でウラジオストク行き、シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断して、やっとのことでドイツにたどりついた。ゲーテインスティテュート語学学校へ入学して、ドイツ語を習得したものの、食肉加工技術を習得するところを探したが、なかなか見つからなかった。
1年後、ドイツ学園の恩師、シュブレンガルト氏の故郷ザールランド州ノインキルヒエンにある、ハム・ソーセージ店「ハンスホールベック」親方に先生の推薦を受けて、住み込みでレーリック(見習い)に入った。ゲセレ(職人)として働きながら、3年後フランクフルト食肉学校を修了。再びハンスホールベック店で、店主ハンスに代わって製造を任され店の経営を行う。
1982年に帰国して日本でドイツソーセージ技術を広めようと、ハンブルグよりスパイスの輸入販売と製造技術のコンサルタント業、商品開発を行い、日本の多くの食肉加工事業の開発・指導を行う。1997年4月11日、50歳の誕生日を記念して指導ばかりでなく自らの製品を直接、消費者に紹介したく、茨城県守谷町にミュンヘン郊外のデリカテッセン店をイメージした「ハンスホールベック」を開店。2004年マイスターシューレで学び、ドイツ食肉マイスター資格を取得している。
なお、小島さんは、1983年ドイツのケルン・アヌーガ国際食肉コンテストにて日本人として初めての受賞(血のソーセージほか)を皮切りに、オランダ・スラバクト国際食肉コンクール、フランクフルトIFFA国際食肉コンテスト、シュテュットガルトSUFFA国際コンクールで数々の金、銀、銅メダルを受章している。天皇家主催の天皇誕生日祝賀会(2005年 12月23日)で小島さんがつくったボンレスハムがパーティーで賞味されたほか、9~10月のオクトーバーフェスタの季節にルフトハンザ航空の成田・ドイツ線のファーストクラスとビジネスクラスに小島さんのブラ―トヴルストが機内食に採用されるなど高く評価されている。
両氏のレクチャーのあとは試食タイム。小島豊・龍子夫妻の製品説明を聞きながら、ハンスホールベックで販売されている約40アイテムのハム・ソーセージの中から、ボンレスハム、ビアシンケンヴルスト、ヴァイスヴルスト(白ソーセージ)、チューリンガーブラートヴルスト(焼きソーセージ)、ゲルダーレンダー(燻製)、レバークネーデル(レバー入り肉だんご)スープ、ローストポークなど10種類ほどの食肉製品を味わった。
会場が秋葉原からつくばエキスプレスの快速で約30分の守谷駅、さらに同駅からタクシーで10分ほどとやや遠方にあったこともあって参加者は二十数人にとどまったが、いつもの座学と趣を異にして、食の現場に出向き、加工場・売り場の見学を組み込んだ多角的な内容に参加者の頭も胃袋も満たされたようだ。