・講師:佐久間慶子(女子栄養大学名誉教授)
・2012年11月29日(木)18:30~20:00
・於:東京ウィメンズプラザ会議室
・参加者:27名
・まとめ:佐藤達夫
ヒトゲノムの研究が進み、遺伝子の働きが急速に明らかになってきた。遺伝子は、健康や栄養とどのように関わっているのか、難しそうなテーマだが、これからは避けては通れない。今回は、多くの人の関心が高い「メタボリックシンドローム」に絞って、女子栄養大学名誉教授(分子栄養学)・佐久間慶子氏に、可能な限り易しく解説していただいた。
■メタボは「へそ周りの腹囲」で判断する
メタボリックシンドローム(略して「メタボ」)を構成する条件の中でも、最も重要視されるのが「へそ周りの腹囲」だ。これが、男性では85cm以上、女性では90cm以上が、メタボの基本条件となる。
メタボは、別名「内臓脂肪症候群」ともいわれるように、内臓脂肪の量が、糖尿病や高血圧症や脂質異常症発症の鍵となっている。この3つは三大生活習慣病ともいわれており、これらを長年放置すると、脳血管障害や虚血性疾患や腎臓病や動脈硬化等の、致命的疾病を招くことがわかっている。
これらの致命的疾病を発症させないためには、遡って、三大生活習慣病を予防することが必要であり、さらに最も上流まで遡って、内臓脂肪量を過剰にしないことが、生活習慣病予防の重要な対策となる。
ただし、内臓脂肪の量は、直接に計測することができない。おへその位置を輪切りにして撮影するCT写真(X線断層写真)によって、推測できるが、CT写真の撮影はお金も時間もかかるので、健康診断受診者全員を対象とするわけにはいかない。最も簡便に内臓脂肪量を推測する手段として考えられたのが、へそ周りの腹囲の計測だ。これならば、だれでも・いつでも・どこででも簡単に計測することができる。
へそ周りの腹囲と体格指数(BMI)、糖尿病、高血圧症、脂質異常症の発症率とは、多くの人のデータから相関関係が高いことがわかった。そこで、2000年に発表された厚生労働省の“健康日本21”の基本政策の一つは、一般の人の健康診断ではへそ周りの腹囲を計測することによって、三大生活習慣病のリスクを推測し、さらには、致命的疾病の予防につなげようとするものだった。
■レプチンという「痩せホルモン」の発見
大いに期待されてスタートした健康日本21だったが、その結果は必ずしも実りあるものとはならなかった。メタボ人数が目に見えて減るということがなかったのだ。皮肉にも、最も大きな成果は「メタボ」という言葉の知名度が高まったことだった。つまり、ほとんどの人がメタボという言葉を知ることにはなったが、多くの人がメタボを解消する行動変容にまでいたらなかったのだ。
この、健康日本21が発表される数年前(1994年)に、肥満治療に衝撃を与えた画期的研究発表があった。それはレプチンというホルモンの発見である。
アメリカの研究所で行われていた遺伝性肥満マウスのDNAの研究によって、肥満の原因の1つが解明された。正常のマウスと比較した結果、この肥満マウスには今まで未知であったあるホルモンの遺伝子に変異があることがわかったのである。研究者たちはこのホルモンを、ギリシャ語の「痩せる」を意味する言葉から「レプチン」と命名した。
体重の増減は摂取エネルギーと消費エネルギーの出納に左右される。つまり消費エネルギーよりも摂取エネルギーのほうが多ければ体重は増加し、その逆であれば体重は減少する。このメカニズムは厳然とした事実なのだが、レプチンというホルモンは、視床下部という脳の中枢に働きかけて、食欲を抑え、エネルギー消費を上げることによって、過剰な体重増加を防ぐ、つまり抗肥満の働きをすることがわかった。
遺伝性肥満マウスは、このレプチンが正常に働かないために、病的に太ってしまったのだ。
さらに研究者を驚かせたのは、このレプチンというホルモンが、脂肪細胞で作られていることであった。それまで、脂肪細胞というのは「エネルギーの貯蔵庫」としてしか認識されていなかった。ホルモンを作っているということは、脂肪細胞は立派な内分泌機能を持っているということにほかならない。
このことをきっかけに、肥満と遺伝子の研究が、急速に伸展することとなる。
■糖尿病になりやすいDNAを持つ日本人
脂肪細胞が内分泌機能を持つことが判明して以来、研究者の間で脂肪細胞への注目度が急速に上昇することになる。
その結果、脂肪細胞はレプチンの分泌以外にも、血圧のコントロールに関係するアンジオテンシノーゲン、糖尿病や脂質異常症や肥満に対して予防的に働くアディポネクチン、血栓を作って脳梗塞や心筋梗塞の原因に関与するPAI-1、インスリン抵抗性を高めて糖尿病の原因となるTNFα等々、多くのホルモンやホルモン様物質を分泌していることがわかってきた。
そしてそれらのいずれもが遺伝子の働きによって左右されていることもわかってきた。つまり、遺伝子は個人個人によって異なっているので、肥満やメタボになりやすかったりそうでなかったりということが、個人によって異なってくることになる。
また、遺伝子の作用ということになると、当然、民族による特性も生ずることになる。生活習慣病になりやすい民族(なりやすい遺伝特性)となりにくい民族(なりにくい遺伝特性)があるはずである。一例をあげると、モンゴロイド(私たち日本人が含まれる)は、白人に比べてインスリン分泌能力が低いという遺伝特性を持っている。そのため、日本人は欧米人よりも糖尿病になりやすいことがわかってきた。
事実、日本人は、欧米人に比べて、それほど肥満度が高くなくても糖尿病になりやすいことが知られている。このような遺伝特性を知っていれば、日本人は「あまり太ってはいない段階から血糖値のコントロールをしっかりしなくてはならない」という対処法が受け入れられるであろう。
■レディメイドからテーラーメイドへ
ヒトゲノムの解読が完了し、ゲノムを構成する塩基約30億7千万の全塩基配列が解明された。
個人個人によって遺伝子を構成するアデニン、チミン、シトシン、グアニン4種の塩基の配列には1000塩基に1つくらいの割合で違いがあり、それらが小さな影響を及ぼし合い、ヒトは一人ひとり異なった遺伝特性を持っているということになる。つまり、それが外見や体質の違いとなる。たとえば白髪になりやすいとか、風邪をひきやすいとか、太りやすい等々。その遺伝子の相違が重大な疾病に関与するものであれば、先天性遺伝疾患となる。
今、医学や栄養学は「エビデンス」が重要だといわれている。EBM(エビデンスに基づいた医学)やEBM(エビデンスに基づいた栄養学)が主流となっている。大量の科学的データから疫学、統計学などにより判断する医学(であり栄養学)である。「集団の医学(栄養学)」あるいは「レディメイドの医学(栄養学)」と言い換えることができるかもしれない。
しかし、今後、個人のDNAが解明されるにつれ、「多くの人にとっては正しい医療であっても、ある個人にとっては正しくない医療」がわかってくる可能性が高い。「テーラーメイドの医療」である。同様のことが栄養学にも当てはまる。同じように見える糖尿病症状であっても、AさんとBさんでは糖尿病の原因は異なり、さらに治療に対する効果や反応も体質によって異なる場合がある。従って治療法や予防法にも個人対応の「テーラーメイドの栄養学」が必要になる時代が来るかもしれない。
このように、生命科学の発展と密接に関わり合いながら栄養学も進化しつつある。肥満を例にそのほんの一部しか話せなかったが、栄養学は単なる寿命ではなく「健康寿命」が今よりもさらに長くなる日が来ることを願って、研究を続けていく。
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佐久間先生の講演内容を、ごくごくかいつまんでご紹介した。
勉強会後の先生を交えた情報交換会では、「遺伝子のことをもっとよく知りたい」「肥満に限らず、健康との関わりを広く知りたい」「再度、このテーマで勉強会を開いてほしい」という声があったことをご報告しておく。(佐藤)