「存続の危機!? 木桶発酵文」の報告

・講師:ヤマロク醤油㈱ 五代目 山本康夫氏
・2014年9月27日
・於:東京ウィメンズプラザ第一会議室
・参加者:20名
・まとめ:赤塚萌子

 和食に欠かせない調味料の醤油を、小豆島で約150年に渡り木桶で造り続けてきた、ヤマロク醤油・五代目の山本康夫氏にお話を伺った。

■小豆島ヤマロク醤油の紹介

 ヤマロク醤油の創業は明治元年ころ。元々は醪(もろみ)屋であったが、醪を搾って醤油にして販売する醤油屋に転向。現在も、すべて木桶を使って造り、その木桶と蔵は国の登録有形文化財にも指定されているそう。現在、日本の醤油製造業者のうち木桶で造っているところは、0.1%にも満たない。

■木桶による発酵文化と、桶屋の現状

 日本で木桶を使い醸して造られてきた調味料には、酒、醤油、味噌、味醂、酢がある。これらの発酵調味料は、製造する蔵元に住みついている微生物が異なるため、独自の香りや味わいが醸される。特に醤油と味噌は、蔵元独自の味わいを残すために、使用中の木桶が使える間に新桶を購入し、新桶に微生物をつける必要がある。
 もともとは酒蔵メーカーが使った桶をリサイクルし、表面を削って、醤油や味噌を造ってきたが、酒造りがホーローやステンレスタンクになり、そのサイクルがなくなった。
 現在、全国の桶職人は126名だが(平成22年現在)、そのほとんどは、一斗・四斗樽か一石(風呂桶)で、大桶は作れない。大桶を作れる職人は4名のみ。

■なぜ木桶による発酵文化を残さなければいけないのか

 木桶は「産湯の湯桶から棺桶まで」、古くから日本人にとって無くてはならない存在だった。さらに、大桶による発酵文化は日本にしかない上に、発酵調味料の「本物」の味わいの継承は「和食」の「格」を上げることに繋がる。

■ヤマロク醤油 木桶職人復活プロジェクト

 2009年、日本で唯一、大桶を作ることのできる桶屋に仕込み用の新桶9本を発注した。醤油屋が新桶を発注するのは戦後初のこと。だが、桶屋の師匠が引退を宣言、後継者がいないため、大桶を作る技術が消える可能性がある。
 そこで、2012年、新たに3本の新桶を発注し、製作工程と仕組みを習うため、小豆島の大工2人(大桶作りには3人必要)と共に桶屋に弟子入りし、2013年には小豆島で新桶を作り、さらに、2015年1月19日~30日に、小豆島で新桶3本を製作予定している。
 木桶を作る材料である木材=杉は、桶材として100年ほど管理された山の杉が、またタガを編むためには13m以上の長さの真竹が必要で、これらも希少であるため、材料の杉や竹の保全にも取り組んでいる。

■木桶による発酵文化の継承について

 桶屋が継続して商売として成り立ち、職人に十分な手間賃が払え、新桶が高価でも購入する蔵元が増えれば、桶屋の技術を習得する若者が増え、それにより技術が継承される。
 一方で、和食の基礎調味料である発酵調味料を木桶の発酵文化と共に情報発信することが重要で、「木桶」の文化を伝えブランド力を高める事により、木桶仕込みの発酵調味料が付加価値をつけて販売できる。
 この相互の連動により、発酵文化が継承されると、山本氏は考える。

■醤油の味見

 今回は、お持ちいただいた醤油2種類<丹波黒豆で作った“菊醤”と、国産丸大豆を使用、二度麹を仕込む再仕込醤油“鶴醤”>の2種類をテイスティングした。

 最後に、桶と蔵の環境を次の世代に伝える・繋げることが自分の仕事、と言われた山本さん。その後の、ごく内輪の話、さらには懇親会での突っ込んだ会話はたいへん楽しく、参加者全員、興味深々だったが、現在の木桶による発酵食品・調味料の問題点に深く触れるものだった。

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