・講 師:渡貫淳子氏(第57次南極地域観測隊 調理隊員)
・会 場:千代田区立日比谷図書文化館4階「スタジオプラス」小ホール
・参加者:31名
・文 責:小山伸二
南極観測の目的は地球の未来のための環境観測にあるという。
人類共通の課題のためのミッションにより極地で越冬する観測隊員の食を支える料理人の仕事。そこから、未来の人類にとっての料理人という職業の意義、「食文化」の意味が見えてこないだろうか。そんな大それた思いを抱えながら、私はこの勉強会を企画しました。
勉強会当日。
南極料理人は軽快な出で立ちで会場の日比谷図書文化学会に颯爽と登場。
薄手のジャケットを脱ぐとなんとその下は半袖のTシャツ。
さすが、極地越冬体験者は違うな、と厚着のこちらは、いきなり先制パンチを浴びる。
3回目のチャレンジで念願の南極料理人になった渡貫淳子さんは、調理学校を卒業後、調理学校の教員をはじめ、さまざまなジャンルの料理の仕事を経験されました。
なぜ彼女が、そこまでして南極料理人を目指したのか。それはずばり、南極でも料理人の仕事はある、ということに気づいたから。そのきっかけが、映画「南極料理人」だったという。あらためて、映画の力を思い知りました!
(ということは、これからの世代、火星にも料理人の仕事はあるのか、と考えるとわくわくします)。
この日の渡貫さんの講演は、料理人として、女性として、妻として、母として、これまで培ったありとあらゆる経験が活かされた1年半の物語でした。
とりわけ、極地の条件として、昭和基地での1年に及ぶ無補給の食糧で30人の隊員の一日3食プラスアルファの食事を支えるための、想像を絶する工夫のかずかず。
そして、渡貫さんのお話を聞いているうちに、南極での資源が限られた極限状態の「食卓」の景色は、いずれ、70億人が暮らすにはちいさすぎる地球号という資源の限られた「極地」に重なり、この惑星の未来を予見しているのではないか、という思いにとらわれました。
以下、当日の渡貫さんの講演レジュメです。
第57次南極地域観測隊:南極料理人の仕事
出発前 4ヶ月にわたる食材調達・物資輸送準備
1年分の食糧発注:30 人分 365 日(3 食/夜食/おやつ+非常食)
南極と日本での料理をする環境の違い?
現地では食糧調達はできない(日本、オーストラリアで調達)
生野菜が不足する
水の制約
生ゴミの制約
排水の制約
南極昭和基地の食事情
究極の「水」の節約料理法(料理に使う水、排水ともに)
「使い回し」料理の極意
めりはりのある「食」の楽しみ
料理人からみた「極地」という環境
極地における人間モニタリング:食べるものを自分で選べない環境下で人間はどう変化するのか
料理人の可能性?
南極で体験し、考えた、料理人という職業の可能性
まさに、白熱の講演。歯切れのいい物言いに、しびれました。
そんな当日の雰囲気をいきいきと描かれたJFJ会員のMさんのSNSでの投稿を、ご本人の許可を得て、ここに転載します。
JFJ会員のMさんのSNSから
「八戸出身アラフォー女性、ご主人と息子さんを日本に残し、調理隊員として約1年半、単身南極昭和基地へ。食生活ジャーナリストの会の勉強会でお話を伺いました。隊員全員が意識する水、電力などライフラインの節約。年に1度しかない食材調達。(1年保存できた生野菜は、玉ねぎとなんと長イモ!)環境へ配慮した排水、ゴミ処理の工夫。この工夫がすごいのなんの!そして、料理人として、やり甲斐ともどかしさと。制約生活の中で、食がもたらしてくれる、体と心の健康、行事食を通しての季節感(は、日本ならでは!)そしてコミュニケーションetc…物質的制約生活の南極から戻り、それとかけ離れた、食が溢れる日本。食品ロス→廃棄の刹那さに心が追いつくのに、半年もかかったとか。印象的だった次にやりたいことは?、の質問への応え『また南極に行きたい!』 料理人としても女性としても魅力的な生き方を伺えました。」
Mさんがお書きになったように、彼女のこれからのやりたいことは。「また南極に行きたい!」という言葉にしびれました。
次回は、渡貫さんといっしょに、みんなで考える「持続可能な未来の『食』」のための料理教室を開催してみたいですね。